就職氷河期世代で大学中退。手取り16万円で暮らした20代の話
私は就職氷河期世代で、大学を中退しています。
大学中退後は飲食店のアルバイトを続け、その後も20代の大半は低収入でした。
20代半ばの手取りは月16万円ほど。家賃6万円の古いアパートに住み、冬になると風呂場で吐く息が白くなるくらい寒かったです。
GWやお盆、年末年始などで勤務日数が減ると、手取りが13万円くらいになることもありました。
この記事は、大学を中退してアルバイトをしていた頃から、30歳になる少し前に年収約400万円の会社へ転職するまでの20代の話です。
大学中退後、飲食店でフルタイムのアルバイト
大学を中退したあとも、大学時代から働いていた飲食店でアルバイトを続けました。
ほぼフルタイムで働いていて、手取りは月16万円くらいだったと思います。
この頃は実家暮らしだったので、給料が安くても生活にはそれほど困りませんでした。
大学を中退して低収入のアルバイト生活になったことについては、今振り返っても「就職氷河期だったから仕方なかった」とはあまり思っていません。
大学を辞めたのは自分なので、その点は自業自得だったという感覚があります。
実家暮らしだったこともあり、飲食店でアルバイトをしている間にある程度貯金もできました。
その貯金を使って、24歳ごろに一人暮らしをすることにしました。
24歳、手取り16万円で一人暮らし
一人暮らしを始めた翌年、25歳の頃に別の会社でアルバイトを始めました。
ボーナスもありましたが、3万円くらいでした。3万円もらえるのはもちろん嬉しいのですが、「ボーナスってこれだけ?」という気持ちもありました。
夏や冬になると、ネットやお店ではボーナスセールをやっています。周りがボーナスで買い物をしているのを見ると、正直うらやましかったです。
自分もいつか、ちゃんとした金額のボーナスをもらいたいと思っていました。
飲食店時代に貯めたお金は、引っ越し代や賃貸の初期費用などでかなり減りました。
さらに一人暮らしを始めると、思っていた以上に毎月お金が残りませんでした。
当時の生活費の内訳(家賃6万円・食費3〜4万円)
当時の毎月の支出を思い出すと、家賃が約6万円、光熱費が1万円くらい。
携帯電話はまだガラケーで、5,000円ほどだったと思います。
私はけっこう食べる方なので、食費は3〜4万円くらいかかっていました。
日用品が3,000〜5,000円程度、服は買う月で3,000円くらい。交通費なども1万円程度です。
今より物価はだいぶ安かったですが、手取り16万円なので余裕はほとんどありません。
それでも友人に誘われれば飲みに行きたかったです。
週末に飲みに行けば、1回2,500円くらい。
若かったので安い居酒屋に行くことがほとんどでしたが、それでもメニューを見ながら、
「これを頼んだらいくらになる」
と頭の中で計算して注文していました。
ストレス発散にもなるので、誘われた飲み会にはわりと積極的に参加していました。月によっては飲み会だけで1〜3万円くらい使っていたと思います。
会社の飲み会もありましたが、ほぼ強制参加なのに割り勘ということもありました。
お金を使わないために家を出ない休日
友人から誘われない休日は、家から一歩も出ないこともありました。
家から出なければ、お金を使わないからです。
スーパーやコンビニに入れば、何か欲しいものが出てきます。
20代の頃はスーパーで美味しそうな惣菜やケーキを見ても、買わずに我慢することがよくありました。
東京から神奈川の実家までは電車で往復1,000円程度でしたが、その1,000円も惜しくて帰省を控えることもありました。
お金がなくて我慢することが増えると、欲しいものが減るどころか、逆に欲しいものだらけになります。
少し外に出るだけでもお金を使いたくなるので、「今日は家から出ない」と決めてしまうのが一番簡単でした。
一方で、本や勉強には比較的お金を使っていました。
当時は年収を上げたくてWeb制作を勉強していて、数千円する技術書を買ったり、スクールを利用したりしていました。
スーパーの惣菜やケーキを我慢する一方で、勉強には数千円、1万円と使う。今考えると、かなり偏ったお金の使い方だったと思います。
この時点では、勉強してもすぐに収入が増えるわけではありませんでした。
冬の風呂場で息が白くなるアパート
住んでいたのは古いアパートでした。
家賃は6万円くらいでしたが、冬になると風呂場で吐く息が白くなるくらい寒かったです。
家賃をこれ以上出す余裕もなかったですし、部屋探しにも慣れていませんでした。
冬の風呂場がここまで寒いとは、住んでみるまで分かりませんでした。
大型連休のときは手取り13万円
普段の手取りは月16万円程度でしたが、GWやお盆、年末年始などの大型連休がある月は13万円くらいまで減ることがありました。
時給で働いていたので、会社の休みが増えると、その分だけ給料も減ります。
世間では大型連休ですが、自分にとっては給料が3万円ほど減る月でした。
休みが増えて嬉しいというより、
「今月は赤字になるな」
と考えていました。
そういう月は、別のアルバイトを探しました。
土日のアルバイトで週7日勤務
収入を補うため、土日は別のアルバイトもしていました。
時期によっては、平日の仕事と合わせて週7日働いていました。
ただ、不思議と当時はそれほどつらいとは感じていませんでした。
20代で体力があったこともありますし、土日の仕事は仕事内容も含めて平日の仕事よりけっこう気楽でした。
何より、休みの日に家にいてもお金は増えません。外に出れば、むしろお金を使います。
それなら働いていた方がいい、くらいに考えていました。
「今週も休みがない」と落ち込むより、土日に仕事が入ると「今月は少し給料が増える」と思っていた記憶の方が強いです。
今なら週7日勤務は避けたいですが、当時は休みがないことより、お金がないことの方が嫌だったのだと思います。
夏休みは深夜の棚卸しバイト
土日のアルバイトはそれほど苦ではありませんでしたが、夏休みに入れた深夜の棚卸しバイトはさすがにきつかったです。
大型連休で本業の給料が減るので、その穴を埋めるために始めました。深夜帯は時給が高く、短期間で稼ぐには都合がよかったからです。
せっかく会社が夏休みなのに、夜になると棚卸しの仕事へ向かいます。
昼間は休みでも、深夜から朝にかけて働くので、あまり休んだ感じはしませんでした。
それでも当時は、
「給料が減るなら、その分どこかで働かなくては」
と考えていました。
今なら夏休みに深夜バイトを入れようとは思いません。20代で体力があったこともありますが、この頃はとにかくお金を稼ぐことに必死でした。
数万円から始まったカードローン
一人暮らしを始めると、毎月の収支がだんだん厳しくなってきました。
そこでカードローンに手を出してしまいました。
最初はクレジットカードの支払いを補填するためだったと記憶しています。
ネットから申し込みをして、ATMで数万円を下ろしたのが最初だったと思います。
「今月だけ足りない分を借りる」
というところから始まりました。
ただ、その後もお金が足りない月があり、そのたびに借入額が少しずつ増えていきました。
カードローンを使い始めると、今度は毎月1〜3万円ほどの返済が必要になりました。
もともと余裕のなかった生活費から返済分を出さなければならないので、食費を減らしたり、飲み会を断ったりするようになりました。
それでも借入額は減るどころか増えていき、最終的には約200万円まで膨らんでしまいました。
最初にATMで数万円を下ろしたときには、ここまで増えるとは考えていませんでした。
27〜28歳、初めての正社員は月給22万円
27〜28歳ごろ、初めて正社員になりました。
当時は非正規雇用から正社員になるハードルが高いと感じていたので、正社員になれたこと自体はとてもラッキーだったと思っています。
月給は額面で22万円ほど。ボーナスはほとんどありませんでしたが、それでも当時は「正社員になれた」ということの方が大きかったです。
長時間労働の会社ではありませんでしたが、職場環境が自分に合わず体調を崩し、1年数か月で退職することになりました。
ようやく正社員になれたのに、また仕事を探すことになりました。
震災直後の転職活動
会社を辞めたのは東日本大震災の直後でした。
求人も少なく、自分にも十分なスキルがありません。
書類選考にもなかなか通らない日々でした。
今はWebから応募できる会社が多いですが、当時は紙の履歴書を郵送する求人も多かったです。
履歴書を送るお金もつらかった
履歴書を買って、証明写真を撮って、封筒を用意して、切手を貼って送ります。
1社だけなら大した金額ではありません。
ただ、何社も応募していると地味にお金がかかります。
貯金もほとんどなかったので、
「履歴書を送るだけでもまたお金が減っちゃうな」
と思っていました。
失業保険を受けながら転職活動をしていましたが、家賃を払い続けられるのか不安になることもありました。
ハローワーク経由で転職、入社初日に契約社員
転職活動を続け、最終的にはハローワーク経由で仕事が決まりました。
ようやく次の仕事が決まり、ひとまず安心しました。
ところが、入社初日に契約社員だと言われました。
自分では正社員として入社するつもりだったので、かなり戸惑いました。
正社員のつもりで出社したのに、初日にいきなり契約社員と言われる。
どうすればいいのか分かりませんでした。
ただ、震災直後の転職活動でなかなか仕事が決まらず、貯金にも余裕がありません。
ここで辞めたら、また履歴書を買って、証明写真を撮って、仕事を探すところからやり直しです。
結局、そのまま働き始めました。
ただ、この会社ではパワハラもありましたし、契約社員ではなく正社員として働きたかったので、またすぐに転職活動を始めました。
30歳直前、提示年収約400万円
29歳、30歳になる半年ほど前に次の転職先が決まりました。
提示された年収は、ボーナス込みで約400万円でした。
土日休みで、残業代も出ます。
それまで手取り16万円のアルバイトで働き、初めて正社員になった会社も月給22万円でした。
その後の転職もうまくいかなかったので、自分にとって年収400万円という提示はかなり大きな金額でした。
Web制作の勉強が転職で評価
転職では、それまでの仕事経験に加えて、Webサイトを作れることを評価してもらえました。
20代半ばから続けていたWeb制作の勉強が、ここで初めて転職に直接役に立ちました。
スーパーの惣菜や電車代を気にしながら生活していた頃に買っていた数千円の技術書が、数年後になって転職の材料になりました。
カードローン残高は約200万円
この頃は一時的に実家に戻らせてもらっていました。
カードローンの残高は、この頃がピークでした。
実家にも月2万円程度しか入れられず、申し訳ない気持ちがありました。
年収400万円の転職が決まったときは、
「これならカードローンを返せるかもしれない」
と、返済の終わりがかすかに見えたように感じました。
親にも、「やっとちゃんとした収入になる」と伝えることができました。
30歳、初めてまとまったボーナスをゲット!
入社前から、ボーナスの見込み金額も提示されていました。
それまでまとまったボーナスをほとんどもらったことがなかったので、かなりワクワクしていました。
実家から会社までは通勤に2時間近くかかっていたので、早くまた一人暮らしに戻りたい気持ちはありました。
ただ、転職が決まってすぐに引っ越したわけではありません。
もう一度一人暮らしをするため、その後も半年ほど実家から通勤しながら引っ越し資金を貯めました。
実家にいる間も月2万円程度しか入れられていなかったので、その点は申し訳なかったです。
半年ほどかけて引っ越し資金を貯め、30歳になる頃に再び一人暮らしを始めました。
そして30歳で、初めてまとまったボーナスをもらいました。
あれだけ楽しみにしていたのに、何に使ったのかはまったく覚えていません。
この時点でもカードローンは約200万円残っていて、貯金もほとんどありませんでした。
それでも、これまでの手取り16万円や月給22万円の頃とは違い、毎月の給料とボーナスを考えると「これなら返していけそうだ」と思えるようになりました。
「このまま返していけば、いつか借金がなくなるかもしれない」
と思えたのは、この頃からです。
20代の終わりに、ようやく「普通に会社員として生活できそうだ」と感じました。
約200万円のカードローンを完済するまでには、ここからまだ数年かかります。
